今日、衆議院が解散された。新聞もテレビも選挙モードだ。もちろん個々人で様々な将来への思いや判断の切り口があると思うが、私が総選挙に向けて思うことを書いてみたい。(恐らく、普段に増してまとまりのない文書になることご容赦お願いしたい。)
日本の将来を考えて行く上で大切なことは、やはり経済を成長させ続けることだと思う。経済規模が大きくならない限り税収増も期待出来ず、増税か借金(赤字国債)をしない限り国の歳入は増えない。経済立国の日本は経済の相対的な地位の低下が、そしてマーケットとしての日本の魅力の低下が、外交的な日本軽視につながる。社会保障も財源がなければ始まらない。経済が縮小する中でどの様に雇用を確保して行けるだろうか。やはり、経済成長だ。
ところが、いま日本のみならず、世界が行き詰まっている。経済の専門家ではないので無責任な表現は避けるが、恐らく「過度に技術化された」資本主義と世界経済の実態とのギャップがあまりに大きくなり過ぎ、そのつじつま合わせをすることがいよいよ難しくなってきたと言うことだと思う。
そうした中で日本を再び成長路線に載せること。これは本当に至難の業だ。ただ工業にしても農業にしても、日本のきめ細やかな物づくりへのこだわりと技術への情熱がある限り可能性はあると信じたい。今のグローバル社会のなかで日本だけで成長を遂げることは困難だ。兎に角、行政と政治はそこを邪魔せず、しっかりと支えることだ。(尤も、戦略もなくバラマキで支援すると言うことではない。)
行政や政治のムダが叫ばれている。本当に削ぎ落として日本の再興を必ず成し遂げると言う目的の研ぎすまされた組織と意思決定とスピードが求められる。過去の無用なしがらみ/慣例は断ち切り、捨てなければならない。
これは経済・産業界のシステムも同様だ。多くの民間はバブル崩壊以降20年近く大変な努力をしてきているが、まだ手のつけられていない業界もあるだろう。
そして社会のシステムも今一歩の見直しを押し進めなくてはならない。
つまり、私達・子ども達のための輝く将来のために、大きな痛みが避けられないと言うことだ。
これを良い表現をされている評論家の方がいた。「負の再配分」だ。政治の役割の一つが「富の再配分」だと言われてきた。いま未来の目指すべき方向性と共に「負の再配分」を明確にし、実行してゆくことが次の政権に求められると思う。
福島の復興について考えた時にもそうだ。確かに心情として難しいのは判る。ただ福島県として必ず早期の復興を成し遂げるために受け入れなければならない中間貯蔵施設や帰還問題と言った「負の再配分」は避けられない。ここもきちっと明確にしてほしい。
もう地域への利益誘導型の政治は求められていない。きちんとした合理性と適正な規律の中で本当に求められる施策を国の責任で県/市町村の力を借りながら実現して行くこと。これが求められるのだと思う。
将来の夢のためとは言え、負の再配分や合理的な施策、これらを前面に出すと恐らく人気は出ないだろう。だけどこれらを愚直に実行することが必ず評価につながると信じたい。そして日本・福島の、子ども達の未来につながると信じたい。