震災後、福島市へ多くの支援をして下さっている東京アメリカンクラブのメンバーからお誘いを頂いて、彼の所属する教会が東京で避難生活を送る家族を招いて開催するイベントに参加しました。教会に所属するメンバーの方や様々な相談にのって下さっている弁護士の方など多くの方々が支えていて下さいました。
家族の皆さんと意識してお話しさせて頂いたのは大きく2点、「福島に帰りたいですか?」そして「福島に帰るのに心配なことは何ですか ?」
皆さんの思いはそれぞれで、正直このスペースですべて描くのは難しいです。いま福島で生活する人と共通の多くの思い/心配もお聞きしました。そんな中で福島に暮らす人との違っているなと私が受け止めたことがふたつあります。
ひとつは放射能に対する不安がやはり大きいこと、そして福島に戻った時にまた地域で受け入れてもらえるだろうかと言う不安です。
放射能に対する不安はもちろん福島で生活を人たちとも共通ですが、やはり現実と日々向かい合っている福島に比べて、多くの外から入ってくる情報から状況を受け止めていることが一因となっていると思います。そう言った意味でも、やはり国や県の実施する各種モニタリング等のデータも、もっとサンプル数を増やして判り易い形で発信して行くことが重要です。前に紹介した空気中の放射性物質のデータもただ数字が時系列で並べられていては理解し難いですし、測定についても出来る限り決め細かく行うことが必要です。
そしてそうした不安に対応する為の健康調査も「医学的見地」で割り切るのではなく、不安な心に触れる施策が必要です。甲状腺検査も内部被ばく検査も次に受けられるのが2年後と言われると、2年間また不安な思いで生活することになります。そうではなくて、食生活にこのくらい気をつけたら検査結果の数値は大丈夫だったとか、普段の生活で判る様になることが大切だと思います。
また問題なのが「福島に戻った時に受け入れてもらえるだろうか」と言う不安。この今の状況に至ったのには人それぞれのいろいろは状況や判断の結果であり、それについては誰も悪いと言うことはないはずです。でも、そうした思いを持ってしまっていること、今回の問題はこればかりでなく本当に複雑な多くの問題を生んでしまいました。みんなが素直に帰ることのできる環境を整えるのも私達の責任なのでしょう。
最後に弁護士の皆さんとの会話。いろいろなお話の中で、今後の大きな支援の柱を組み立てて行くうえで、私がお願いしたのは避難している方だけに焦点を当てる様な支援の仕方ではなく、福島でもいろいろな不安や不都合を抱えて生活している人たちが多くいることを意識して出来る限り多くの人たちが救われる様な支援をしてほしいと 言うことを伝えさせて頂きました。
私達のひとりひとりの役割のなかでひとつひとつ出来ることを。みんなで復興に向けて進んで行きましょう。私も精一杯支えさせて頂きます。(長文、お付き合い頂き有り難うございました。)